はなこhome

紅花林 home

今週の旅

旅立とう、もろもろのくに

200万年前に吸い込まれたあなたの骨が地中深くでくるくると廻っている。時折そこかしこに浮かび上がっては石音を奏でる。磁力にひきつけられて音が集まってきた、いくつかこぼれ落ちたが、それでも拾い集めてみた。あなたに差し出してみよう。


0 路地

ネパールの建物は繊細なつくりの木造だ。部分部分が小さくて、じっと見ていると何もかもが錯覚のように感じる。でも窓辺の女ははみ出しながらも当たり前のようにくつろいでいる。変な感じがしているのは自分だけなのかも、そのうちどんどん異次元に入っていって、この世界そのものがふざけているような気までする。ふらふらひとりで歩いているととてもいいきもちになる。あるときいきなり細い路地で葬列に出くわして、泣き女の迫力にびっくりした。

火葬式のおみこしをかついで楽しかったサピ


A 中国

もとはといえば、先輩の「中国行ったら50円で餃子が死ぬほど食えるぞ」という言葉に触発されてまだ見ぬ世界を思うようになった。巨大なセイロに50個たっぷりの餃子には心身ともに圧倒され、残りの半分を前にぼ〜っとしていたらどこからともなく杖ついたおじいちゃんが現れた、全てを見通す深いまなざしで私を見つめ「いらんならわしにくれ」という具合に指さした。おじいちゃんは本日の食事を堪能する。ちょうど紅花林のできたころから私は旅の虜になってしまった。

旅で出会う旅人たちにはどういうわけか時間がたっぷりあるようで、1年だ2年だと言ってはしきりに威嚇してくる。そうとはいってもやはり一般的な常識以上にたびたび旅に出る私としては、まともに働き社会を支える人々に大変申し訳なく反省しながらいったん旅に出るとそんなことはいってられない。山積する問題を解決しなければならないのだ。ご多分に漏れず、旅の雑事に埋没していく。


B インド

味わい深さならインドはやはり突き抜けている。体力と生命力を使い果たしながらも無事旅を終えしばらくするとまたまたそれを繰り返したくなるのだ。エローラやアジャンタ、マハーバリプラムなどの豊満かつ放漫な女神の虜になった。

だが何といっても強烈なのはベナレスだ。ガンジス川沿いの迷路をうろうろする。あの迷路には何度も行きたくなる。かわりに淀リバーの河川敷に寝っ転がって空でも見る。

南インドの海や水郷地帯は北とはまた違っての〜んびりしたようすさえする、入り組んだ水郷地帯は迷路のように楽しい。州ごとに同じ国とは思えないほど個性が強い。隣の州のインド人どおしが英語で話し合っているのがなんだか変だ。

前の日まで仕事に忙殺され、徹夜で準備してシンガポール経由でマドラスに行ったときのこと。調子にのって飛行機の中で食べ過ぎ飲み過ぎになった。さらに配給されたアイスもなかでとどめをさして、入国時にはビニール袋に吐きながらパスポートを出す。入国審査官は平然として当然の如く無事入国。さすがの包容力、どんなものでも受け入れるインド、悪いものも全て吐き出してゴミ箱にほり、まあまあの滑り出しだった。両替屋もいんちきしないし、タクシーのにいちゃんもぼったくらないし、肩すかしをくらいながら、どちらかと言えばのどかな南の旅は始まった。マハーバリプラムのでっかい石の、アルジュナの修行を見、石山の坂にちょこんと乗っかってなぜか転げ落ちない石(クリシュナのバターボールというのだけど、1つじゃなく、そんな中途半端なところで止まっている石が他にもいっぱいあるのだ)とか、海岸寺院とかそういうところに行った、カニャークマリで巡礼に混じって、不思議な少年に出会った。アレピーやクイロンの水郷地帯は美しかった、なんか今思い出すと現実感がないような美しさだった。


C モロッコ

高い山脈のせいなのかなあ、色彩と音が渦巻いているめくるめく世界だった、世界の全てを含んでるような、多次元な感覚。

民族のおっさん、おばちゃんの顔を見ていると、山は海よりも大きな境界に違いない。海を渡るよりも高い山を越える方が難しかったんだろう。高い高いアトラス山脈を越えると全然の別世界だった。カスバ街道をえんえんと走り、カスバの迷路にときどき迷い込む。砂漠にたどりついてらくだでキャンプに出た、砂漠の砂は極小でひんやりとしていた。

山越えの帰り道は雪が降り、夜も更け、レンタカーが谷に転落するかと気を失って、曝睡しているうちに、どういうわけかどしゃぶりのフェズに到着した。助かった〜。フェズのメディナは理想的な迷路だった、突然現れる広場の隅っこのミント茶屋がおいしい、あの空間とあのおっさんの茶こしにぎゅう詰めのミントがほっとする。


D バリ

一番縁の深いのは南の島だ。あふれる音楽、咲き乱れる花、これを極楽というのかも・・。

初めて島に行ったとき、初めの晩に、今では有名なウブドゥ村にほど近いサヤン村に投宿した。真っ暗な道をゲストハウスにむかい、いきなり現れた深い深い谷に息をのんだ。

そののち、海に投宿したのだが、その日はたまたまムラスティというお祭りで、島中の人々が最寄りの海岸で祈りを捧げる日だった。静かな海岸に、突然激しいガムランの音、一列の見事に着飾った正装の人々が現れた。鳴り物を打ちならし、捧げものを頭に乗せて集団は南へどんどん歩いていく。吸い寄せられてあとにふらふら着いていくと、そこには何万という色とりどりの人々がウンカの如く集結し、祈りを捧げているではないか。ガムランの高音渦巻く中、トランスする者、まわる僧侶、驚きの連続だった。それからというもの、この島の無数の寺院の数え切れない種類の行事が私をこの島に呼び寄せ引き留める。


E ロンドン

ロンドンに着いたらまずTimes Outという雑誌を買おう、というふれこみに踊らされてそれを手に入れる。知らない名前のミュージシャンが並ぶ中、諦めずに読み続けると、「ニナ・ハーゲン」のライブ情報が・・。しかも日付は本日だ。マーキーという有名なライブハウスへやっとこさたどり着くと、そこには長い行列ができつつあった。いかついパンク姿のお兄さんお姉さんにまぎれて何時間も待つ。

空腹に耐えられず、後ろのお姉さんにお願いして場所をキープしてもらい、ハンバーガーを買いに行ったちょうどその間に運悪く整理券が配られていた。そっけない窓口の対応に諦めず果敢に交渉し、余程必死の形相をしていたのか、なんとか入れていただいた、あたりまえやん。そしてまた数時間待つ。永遠に続くかと思われた前座が終わって、圧倒的なニナ・ハーゲンが登場した。圧倒されたマイクの線も抜けたのか、ハウリングで声は届かない。その混乱の中ものすごい形相で歌い続けるニナ・ハーゲンの迫力にまたまた圧倒され、狂ったようにとびかう全員でかいからだの観客にもみくちゃにされながら、ほんものはすごいもんや、とひたすらに感動。バンドつきが無事シールドをさし込み(さっさとせんかい)、オペラのような見事さ、もっと打ちのめしてくれ、という気になった至福のライブだった。

これも紅花林ができたころのこと。


G 老人の芸


バリのマス村で寺の大祭りの夜に見た年取った踊り手の舞台が忘れられずいたところ、この前、名前がやっとわかった。イブ・チュニック(チュニックおばさん)だった。踊りは、ジョゲの一人芝居で出し物はチャロナランといって、ひとりで魔女やらランダやらバロンやら次々に変身して踊る高度な技なんだけど、もう目は釘付けになってしまった。現地の人々にも尊敬されている高齢の有名な舞踊家だった。ほんまに老人の芸人にはなんとすごい人がいるものだろう。今まで見た中で最高の演者だった。他にもおじいちゃんですごい踊り手を見たことがある。これはトゥブサヤ村の死の寺の祭りの集団演劇のチャロナランで、出てきただけで観客が笑い出すほどの雰囲気、指の動きだけで笑いが止まらなくなるほどの芸だった。この前の日曜日、バナナホールで登川誠仁さんのライブを見たけど、これもすばらしかった。味わい深い。めざすは老人のパワーである。



H 憧れの歌手

ニナ・ハーゲン、エリス・レジーナ、イブライム・フェレール、登川誠仁、1985年3月に見たミュージカルCatsで老猫を演じていた役者


I 天体観測

●獅子座流星群

一体いつがすばらしいのか、わからないままに寒空の下、何回も待ちかまえた、雲が大量発生してきて、やめてくれ〜、と叫びながら車で大移動し、とうとう2001年の11月19日早朝、念願の流星雨に会うことができた。事前に観測に適した場所を探しまくったことがやっとこさ報われる。

●皆既日食

密かに何回も観測に挑戦した。1999年にドイツに見に行った、混雑する電車に乗り込んでやっとこさたどりついた町に待っていたのは巨大な夕方の虹と野宿と、翌朝の大雨だった。雨の中の皆既の瞬間は、世界が深夜の漆黒に包まれた。これには驚いた。念力に雑念が混ざりすぎて雨乞いになったのか。

2002年6月21日ジンバブエの荒野Mavuradonhaで観測に成功。皆既の瞬間はこの世のものとは思えない真っ黒の太陽が空にかかり、見事なコロナが「ゴ〜」という幻聴をともなって悠然と揺れていた。フランス人が錯乱して絶叫した。鳥も人も皆変になっている。私はひとり枯れ木の下で茫然としていた。荒野に渦巻く熱気を一陣の風がさらっていった。

●太陽

日々の太陽観測で天体への執着に磨きをかけよう。


J ビルマ

ジャワ、カンボジア、とビルマのバガンで世界三大仏教遺跡だ。

ビルマ、この国の人々の穏やかさ、善良さは突き抜けている。

夜明け前、宿から自転車に乗ってバガンの大平原に入る。パゴダの頂上に登ると、朝靄に数千のパゴダが浮かび上がった。

インレイ湖の浮き草でできた集落に暮らす人々の文化は不思議だった。(つづく)


K マテーラ

南には北と全く違うイタリアがある。この国は都市国家で、街は強烈な個性を持つ。南はプリミティブな風土なので、どちらかというとあまり表に出てこなかった。なんだか秘密にされていた時代もあるようだ。しかしすばらしい場所が多い。

洞窟都市マテーラは空想をかきたてる場所だ。深い谷に沿って大量の洞窟を掘り、次の時代にはさらに上に街を作り、廃墟の上にどんどんと街を作って増殖した。夜の街は灯りにぼんやりと浮かび上がり幻想的だ。廃墟を眺めていると時空を遡ったような錯覚にとらわれる。

他にも個性あふれる街がたくさんある。レンタカーがいいが、イタリア人はインド人なみに運転が荒くレーサーのようだ。


L トルコ

イスタンブールの面白さを振り切って、やっと中部アナトリアにも旅をした。

地形の不思議さ、石灰岩でひだひだになった広大な大地のあらゆる場所に潜んで生きた人たちの洞窟住居は驚きだ。

ウフララ渓谷を一人で歩いていたとき、巨大な陸亀にあった。ピクニック気分で歩き始めたのだが、結構ハードなトレッキングで岩などをよじ登る場所もあり、遭難する危険だってある。渓谷と草原はまさに桃源郷だった。山羊飼いの少年たちに出会ってほっとした。トルコの田舎の家族は暖かく、手作りのヨーグルトとかチャイとかめぐんでくれる。

トルコの長距離バスは豪華である。お茶のサービスもあり、トルコのポップスが威勢良くかかっている。トルコのポップスは魅力的だ。人気の歌手が味わい深く、濃く、熱唱している。
そしてトルコの民俗音楽は生演奏の機会は少ないが、素敵な音源がたくさん買える。



0-2映画 0-3CD 0-4

はなこhome


e-mail

紅花林home