もとはといえば、ある先輩が「中国行ったら50円で餃子が死ぬほど食えるぞ」とのたまった。若い私はまだ見ぬ世界にほのかな憧れを抱いたのでした〜でかいセイロにぎっしり餃子が出てきたあかつきには半分も食べられず、そこへ杖ついたおじいちゃんが一人来て「それわしにくれ」という具合に指さしまして、おいしそうに食べました。紅花林のできたころから私は旅の虜になってしまったのです。
なぜか旅先で出会う若い世界の旅人たちはそれこそ旅の期間を1年とか、2年と言い出して全く圧倒されてしまい、とうとう短い旅など後ろめたい感じさえしてくる始末です。それでもたびたび旅に出る私はみなさんに申し訳なく反省しながらいったん旅に出るとそれどころではありません。いろいろな問題を解決しなければならないからです。そうして私は没頭するのでありました。
味わい深い、と言えばインドはやはり突き抜けています。体力と生命力をたっぷり使ってしまいますが、どうしてもどうしても行きたくなってしまうのです。遺跡を追い求める私はエローラやアジャンタ、マハーバリプラムなどの丸みのあるふくよかタイプの女神たちの虜です。しかしそれより何より私の心を捕らえて話さない場所は、ベナレスです。ああ、またベナレスが呼んでいます。私はいつも淀川の河川敷に寝っ転がってガンジス川を思い出しているのです。それからインドの海や水郷地帯もすばらしく、これがホントに同じ国か、と思うほど各州で感じが違うインドですが、どこも懐かしくてたまりませんな。しかし、たっぷりと体力のある時に行きたい、と思ううちにカシミールは難しくなってしまいました。みなさんお元気でしょうか。
あの高い山脈のせいでしょうか。世界の縮図のようでした。民族を見ていると、山は海よりも大きな境界であるような気がします。海を渡るよりも高い山を越える方が難しいのでしょうか。山を越えると別世界でした。カスバ、砂漠、メディナ、モスク、本当に色とりどりのめくるめく世界でした。
山越えの帰り道は雪が降り、夜も更け、レンタカーが谷に転落するかと思い、思わず曝睡しているうちに、車と一緒に生まれてきたような旅の連れの運転で無事フェズに到着しました。この時ばかりはいよいよ最期か!と思いました。助かりました。
しかしなんといっても一番縁の深いのは南の島で、あふれる音楽、咲き乱れる花、とまさしく極楽のようなところです。
そもそもなぜ南の島の虜になったか、と言いますと、一度めにあの島に行ったとき、初めの晩のことですが、今では有名になりましたウブドゥという村にほど近いサヤン村に投宿したわたくしは、真っ暗な道をゲストハウスに案内されて、いきなり現れた深い深い谷にびっくり仰天しました。
そののち、海に投宿した私は、その日はたまたまムラスティというお祭りで、島中の人々が最寄りの海岸で祈りを捧げる、という日だったのです。いきなり静かな海岸に一列の見事に着飾った正装の人々が鳴り物を激しく鳴らしながら捧げものを頭に乗せ歩いているではありませんか。驚いてあとにふらふら着いていくと、そこには何万という色とりどりの人々がウンカの如く集結し、祈りを捧げているのです。ああ、びっくりした、驚いた。鳴り物をじゃんじゃん鳴らし、トランスする人、まわる僧侶、まあ、それはそれは驚きの連続でした。それからというもの、この島の無数の寺院の数え切れない種類の行事が私をこの島に呼び寄せ引き留めるのであります。
ロンドンに着いたらまずTimes Outという雑誌を買わなあかん、という情報どおり私はそれを買い、知らない名前のミュージシャンが並ぶ中、なんとニナ・ハーゲンと書いているではあ〜りませんか、しかも日付は当日です。マーキーという有名なライブハウスへ地図を見ながらやっとこさたどり着くと、そこには長い行列ができつつあった。いかついパンク姿のお兄さんお姉さんにまぎれて待つこと何時間だったかはもう忘れたけど。
空腹に耐えられず、ハンバーガーを買いに行ったちょうどその間に運悪く整理券が配られていたが、めげずに必死で交渉し、余程思いつめた顔をしていたのでしょう、しゃーないなあと入れてもらってまた数時間。永遠に続くかと思われた前座はやはり終わって、圧倒的なニナ・ハーゲンが登場します。ところがマイクの線でも抜けたのか、ハウリングで1曲め全く声聞こえず。その混乱の中ものすごい形相で歌い続けるニナ・ハーゲンの迫力に圧倒され、狂ったようにとびかう全員でかいからだの観客にもみくちゃにされながら、ほんまの歌手てすごいもんや、とわけもわからず感動。バンドつきが無事シールドをさしますと、まるでオペラのように見事なお歌、まいりました。
これも紅花林ができたころのお話です。
インド人は、「ソニー」、「カシオ」、「トヨタ」、「ワンダフル!」と、インドネシア人は「ホンダ」、「スズキ」、「カワサキ」「グレイト!」と、そしてベトナム人は「コニカ!」と、アラビアでは「アイワ!」アラビア語では、AIWA=はい、という意味なのです。
そしてアフリカ人の少年は日本を知りませんでした。「ジャパン?」「ハポネ?」「ワカラナ〜イ」、と言っていたのに、突然ひらめいて「オオ、ナカ〜タ!」と満面の笑みで叫んでいました。それまでサッカーのことをあまり知らなかった私も、「サッカーてすごい」と思いました。サッカーはボールさえあればどこでもできて、まことに世界中の少年を虜にしているのですね。オリンピックよりもワールドカップの方が見ている人がず〜っと多いそうです。テレビで言っておりました。
日本の科学技術に、そしてスポーツ界での活躍に、ずいぶん助けていただきます。
ジャワ、カンボジア、そして最近ビルマのバガンを訪れて、とうとう世界三大仏教遺跡を見ることができた。ビルマ、この国の人々の穏やかさ、善良さは突き抜けている。
早朝、宿から自転車に乗ってバガンのパゴダの上に登った。大平原で朝靄に浮かび上がる数千のパゴダはえもいわれぬようすだった。
インレイ湖の浮き草でできた集落に暮らす人々の文化は不思議だった。(つづく)